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naruchan氏(S53年度合格)の体験談!

1978年に東大編入合格した、naruchan氏から体験談が送られてきました。

え?え?S53年度っていつですかって?
わたくし小山太郎の生まれがS51・・(歳バレ注意)
え?そもそもSって何って?
「昭和」ですが? え?昭和を知らない? え? え?

そういえば今年東大編入試験受ける人達は平成10年生まれか。
※1998年の流行・出来事

・・・。そうですよね・・・、平成も10年になって生まれた方々に、昭和を理解しろというのが無理な話ですよね。
いやしかし、naruchan氏の情報で小山太郎も初めて知ったのですが
「東大の編入学は昭和50年(1975年)秋に発表され、第一回編入試験は小山太郎の生まれ年である昭和51年(1976年)に始まった」とのこと!!

小山太郎が生まれて言葉もわからない最中、一方では編入試験が始まったという・・・
そもそも最初から英数(物)だったのか、当時ネットなんてそもそもないし、携帯、ポケベル(知らないでしょ)すらなく、ウォークマンも発表されていない時代に編入試験が始まっているのですよ!!!!
※1976年の流行・出来事

あ、相変わらず脱線部分が長すぎますね。
この部分を好んで読む人は1割居ない説も・・

では戻ります。はい。

naruchan氏からは5月に体験談が送られてきましたが、今年受験する皆さんに影響が出ないよう、試験の後までアップを待ってもらいました。
配慮ありがとうございます。

では、編集している自分がかなり興奮気味ですが行ってみよう!

2018.07.14 更新

〜小山太郎流〜に報告メール着 

naruchan氏:
還暦となるといろいろ懐かしく、貴サイトを発見しました。
私は第3回の編入生です。
現在とは全く異なるので皆さんの参考にはなりませんが 昔ばなしを若干させて頂ければと。
昔は、国・英・独・数・物・化 + 専門(口頭)、 口頭で20人から10人に絞られました。そんなことなど。
掲載していただけるなら昔ばなしをまとめてみます。

小山太郎:
なんと!第3回とは!!驚
還暦ということは40年くらい前に受験したということでしょうか?
自分だけでなく皆、東大編入以外の方も興味がある話です!
書いていただけると非常に嬉しいです! 掲載時期は、今年の受験生のことも考慮して 面接が終わる7/13以降にしようと思います。
私に送るのはいつでも大丈夫です! というか興味凄くあるので早く見たいという気持ちです^^;
しっかし科目が鬼ですね・・・ 今その科目で受験と言われて受かる人が果たしてどのくらいいるのでしょうか・・・

naruchan氏:
昨年4月から東京大学に勤務しています。
職場は学生時代に所属した研究室のちょうど2階上。
教員ではなく職員です。大型研究プロジェクトに参加しています。
掲示板の合格発表や試験当日の注意(実験禁止など)を見るたび昔のことを思い出していました。
現在のほうがたしかに負担は少なそうですが、 私はたぶん総合優勝タイプなので、昔のほうが。 それよりも精神的にきつかったのは 口頭の倍率が2倍だったことです。

小山高専の星、丸山茂夫東大教授は第5回で私の2年下です。 先日研究室にいって無駄話をしてきました。

小山太郎:
というわけで、naruchan氏に過去を振り返っていただき体験談見てみましょう^^


【きっかけ】  

高専3年生の秋。東大の編入制度が発表されました(昭和50年)。
翌年早々に第1回の試験があり、11人が合格したと聞いています。
成績が無駄に良かったので、東大を受験するように指導されました。
そのくせ、学校からのサポートはまったくなし。情報もまるでなし。
過去問も問題集もないので、暗闇のなかを手探りで進む感じでした。


【一次試験】

試験は夏休みあけ。当日朝、はじめて東大キャンパスに行きました。
工学部二号館が会場でした。69人受験して合格奢は20人でした。
・国語 「要約」 1問は「サメの歯」
・英語 英文和訳と和文英訳
・独語 短文の和訳
・数学 微分方程式など 重積分はなし
・物理 線電荷で円柱状の表面電位など
・化学 覚えていません


【二次試験(口述)】

定員は10人なので、倍率2倍。口述試験としては厳しい倍率です。
学科で会場が分かれていました。第一志望の化学系は5号館でした。
志望理由も聞かれず、いきなり怒られたので、だいぶあせりました。
怒られた理由は、第1志望だけで第2と第3が空欄だったことです。
「君を入学させたいが、全部埋めてくれないと調整が面倒になる」。
「測定はどこでしたのか?」「ニッセイです」「保険会社???」。
呆然としていると、先生の一人が「茨城の方言で日立製作所です」。
質問はそれだけでした。私の受験は終わりです。合格していました。

宮城→化工、茨城→合化、東京→電気・原子力、明石→建築、
呉 →物理、宇部→工化、高知→電子、大分→機械×2


【学生寮】

駒場は遠く、1ケ月で自宅通学をあきらめて、学生寮に入りました。
昭和24年築で、消防署から不適格のお墨付きをもらった木造です。
6畳間に2人が基準。定員は60人くらいで、食堂・風呂付でした。
テレビのある共用部屋に行っては酒を飲んだり麻雀をしていました。
寮費は電気代などを含め3000円で、食事が400円/日でした。


【学費】

昭和51年入学扱いで入学金60000円、授業料は96000円。
授業料が払える金持ちは寮生の資格なしと学生寮で説教されました。
そこで一念発起、修士課程を修了するまで、免除を勝ち取りました。


【駒場生活】

認定されなかった単位の取得のため、前期はせっせと通学しました。
英語2単位とドイツ語8単位、人文・社会各2単位を取得しました。
専門科目をかなり認定されたので、後期はあまり通学していません。
学科ごとのクラス編成は2年生後期なので、ほとんどが初対面です。
2年次編入でよかったと思います。どうせ3割は浪人、留年も多数。
1年遅れが問題になったことは一度もありません。ケセラセラ・・・


【本郷・六本木】

高専時代の貯金のおかげで苦労することなく、院試も合格しました。
卒論の研究室は学部6人、修士3人+3人、博士0人+2人+2人。
6人中4人が大学院に進学、私以外の3人は大学教授になりました。
2人は准教授まで東大、1人は50才で私大の学部長になりました。
私は研究室を替り生産研。解散までの累計在籍者は修士4人でした。
教授、助手、秘書の3人。昼食は、青山か六本木で食べていました。
生産研の建物は日本軍兵舎、現在は新美術館の敷地になっています。


【卒業後】

日立化成に就職しました。数社を経て、現在は東大の常勤職員です。
茨城高専からの要請で、非常勤講師を3年間しました(石油化学)。
自信がないので「可」以上で事務に報告しました。追試はしました。


【最後に】 

「なせば成る」と思いつめたら不幸です。なるようにしかならない。
ただ、たぶん、努力すべき時期には努力したほうがよいと思います。
「法螺を吹いては仕事をし、仕事をしては法螺を吹く」というのは、
戦中から戦後に活躍した、東工大の神原周先生の残された言葉です。
ぜひ「ホラを吹いては勉強し、勉強してはホラを吹いて」ください。

小山太郎:
さーどうでした?

過去問なし、情報まったくなしなため勉強期間という概念がなかった模様・・
今のようにネットがあるわけでもなく、情報にアクセスするとなると本が出るのを待つか。口コミなんてものは携帯でネットが出来るようになってから一般的になってきたわけで。

昔:情報がない中で挑戦
今:情報がある中で対策
といったところでしょうか。

今は、ゴールがある程度予測出来るしそこに到達するまでの計画をすればいいだけ。
あとは見えないライバル(他校の受験生)をどう考えるか。これも○○高専から毎年○人入っているので、うちの高専でトップでももっとやらねば。と考えればいい話なのでそこまで難しくないですね。
一方昔となると、どこにどのようなゴールがあるのかもわからず。だけどこれは皆一緒。
高専によって特徴が違うので編入したい学科に強い高専は有利だったかなと。
(管理人出身高専はデザインメインの高専で、どちらかというと高専からの美大編入なら多分断トツで有利)

っと、管理人自身、これを書いてる中でふと自分が情報ありきで対策しかしてないなと最近を振り返り。
存在する情報は有効活用すべきだけど、それだけで満足するのではなく
情報がない分野に挑戦する開拓者精神を持つべきと編集していて感じました。
なんか、最近のゆるーい考えの自分に反省。

さて。

皆さん気付きましたかね?
いや、気付いてますよね?
各行の文字数が同じで、等幅フォントだと揃っている!!!
いやはや、どんな性格なんですか笑
というわけで、あえての等幅フォント指定し、他の体験談では恒例の文字装飾は一切使用しないということにしました。


余談

今では知ることも困難な話もnaruchan氏がしてくれました。

編入制度:
数年前から東工大が実施していました。退任後に長岡の初代学長になった川上正光学長の発案と聞いています。当時、関東地方では、東大、東工大農工大埼玉大群馬大くらい、筑波大は3年生がいないのでなし、茨大とたぶん宇都宮大もなし。
他の地方では、北大東北大岡山大が受け入れていました。進学する人も少なく、学科で1人くらいだったと思います。私の年代から進学者が増え、同級生は34人中6人が進学しました。オイルショックで不況感が漂い、採用が減少していた時代です。

東大編入試験:
一次試験は国語、英語、ドイツ語、数学、物理、化学
。二次は専門科目の口述試験でした。 閉口したのは、募集要項が送られてくるまで試験科目が不明だったこと。募集要項をみても出題範囲が不明なこと。どこまで勉強したら良いやら。他の学科もふくめて誰も東大を受験していないので、過去問がないこと。
担任がたまたま持っていた東工大の過去問は「鎌倉幕府の成立年代を5つ挙げよ」。
東大だったらどんなマニアックな問題が出るのかと不安は募るばかり。

(志望学科は3つまで記入するところは当時からあったようです)

合格者の出身校:
宮城→化工、茨城→合成、東京→電気・原子力、明石→建築、呉→物理、宇部→工化、高知→電子、大分→機械(2人)、の9校です。

1期生・2期生で私が知っているのは、佐世保→金属、富山→化工、東京→金属。
4期生では明石→都市、府立→工化。
5期生には呉→機械、それと小山高専から丸山茂夫さん(現東大工学部教授)。

茨城高専からは7期生が物理工学。お手伝いした方の中で合格したのは彼だけ。
* 工化・合成・反応・化工→応化・生化・化シス 船舶、資源→創成
1年遅れと3年遅れの方がいましたが、過年度は問題ないようです。

教科書・参考書:
数学は大日本図書の高専向け教科書がありましたが、物理は標準的なものはなし。
機械系と電気系は新編シリーズがありましたが、化学系は日刊工業の有機化学だけ。
したがってベンチマーク的なものは数学くらいしかありませんでした。


 


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